大分遅くなりましたが…
23歳、保育士をしている者です。
私の育った家庭(特に父方の普系)は、日常の中であらゆる虐待が行われている環境でした。
特に、父のきょうだいにあたる家庭では、雪の降る真夜中に子どもを玄関の締め出して補導案件、
テストで親の求める点数が取れないと平手打ちでみみず腫れ、
病気でも受診させてもらえずやっと診てもらえた頃には集中治療室へ入院レベル、
3階から階段を突き落とされて骨折、などなどがどの家でも日常です。
それに比べると、私は母に愛されていた分幸せな幼少期でしたが、
父方の祖父母が同居するようになってからは母の目を盗んで酷い扱いをされることもありました。
他の孫と差別される(いとこ達や私の妹は自分の孫だが、
私は所詮嫁の子でしかないと言われるなど)、
晩ごはんが出てこない、
無視、
私が祖母を虐めていると親戚中に泣いて訴える、
ストレス発散のためにつねったり蹴ったりする、などです。
所詮嫁の子なので可愛くなかったのでしょう(笑)。
また、父からの愛情も歪んでいました。強くなるためと階段から落とされる、
お風呂で温まりなさいとのぼせるまで浸からせ続ける(それでも私の顔の血色が悪いので、
挙げ句の果てに私の頭を湯船に突っ込むというのを咽せて真っ赤な顔になるまで続けていました)、
左利きでは結婚できないからと右手を使わせ、
癖で左手を動かした瞬間叩く、
つねるなどバチを与える、
たくさん食べて大きくなりなさいとお腹がいっぱいになっても無理やり食べさせるなどです。
スイッチが入ると手に負えないような性格でした。
妹には更に酷く、邪魔だと蹴飛ばしたり、蹴られて泣いている妹ひ
「うるさい!」と口と鼻を押さえ込んだりしていました。
妹は呼吸ができずに顔色が真っ赤になってそのまま紫になっていったことを覚えています。
一番嫌だったのは親戚一同が集まった時です。
私は嫁の子なので女中以下の扱いでした。
料理は大人がしてくれるのですが、ご飯が出来上がるとは大人中心の宴会になります。
子どものご飯の配膳をして食べさせる(まだ乳幼児のお世話が必要な子が6人いました)、
大人のオードブルを盛り付けてタイミング良く献上する、お酌をする、タイミングを見計らって次の料理を出すといった具合です。
子どもが食べられていなかったり、大人にとって足りなかったりすれば私の責任です。
また、子どもたちは早めに食べ終わって外に遊びに行くのですが、喧嘩や怪我をすれば私の責任です。
接待の場ですからおじさま方に機嫌良く飲んでもらおうとお酌をするので、もちろん触られることもあります。
それぞれ奥さんが目を光らせているので見つかると私は妻を寝取る卑しい女として白い目で睨まれます。
でも、私にはそれしか食事をする術が無いのです。
おじさま方に気に入られると口をつけたおかずを一口分けていただけますが(おそらく間接キスとでも思っているのでしょう)、
それを食べ損ねると私のご飯などありません。
一度に数日間泊まっている間は、
子どもがかじりさしで残したものと、
お酒の席の接待で食べさせていただいたもの、
オードブルを片付けた際にゴミ箱に捨てられた物をゴミ出しをする途中で漁って食べる、
の3択です。
お陰で何の抵抗もなく、自然に触られながら自分の体で隠す術が身についたようです(笑)
これらは全部、母が仕事の間に起こっていたことです。
私も母に心配をかけまいと必死で隠していましたし、
そもそも母が家族全員の生活費を稼げと働きに出させられていたので、
母自身被害者です(父は仕事が嫌いなので働いていませんでした)。
だから母には言えません。
この生活の後、私が中学1年生の頃に両親が離婚しました。
普通の生活に戻る時に、私の辛かった記憶は全て消えてしまいました。
「解離性障害(最近になって診断済み)」となり、
過去の記憶が全くない、
その場に似た状況が起こるたびに記憶をなくす、
フラッシュバックを起こす、
過呼吸などたくさんの症状を引き起こしました。
解離が起こってで夢と現実の狭間を生きている間は
気が変になって、
叫ぶ、
泣く、
自傷行為、
意識を失う(体が動かず意識が無いように見える)など
今も日常生活に支障があります。
虐待が終わった後も、私たちは自分と戦い続けなければなりません。
最後に3つ、思いの丈を話させてください。
①私がこの話をすると、「今までよく耐えてきたね。頑張ったね。」と言ってくださる方がいます。
その方の中では、私は「逆境に立ち向かい、耐え抜き、見事勝利を納めた子」らしいのです。
しかし、現実は「何度も自殺しようとしたのに怖くて死にきれなかった、自死を選ぶ勇気のなかった子」なのです。
自らの手で自分の命を終わらせる子もいますがどうかその子を責めないでください。
彼らはそれが自分にできる唯一の改善策だと思っています。
ありったけの勇気を振り絞って自分の未来を変えようとしているのです。
正しい未来の切り拓き方を教えてあげてください。
②私は保育士になるための授業で児童虐待について学びました。
それまでは、親はストレス発散をするために子どもを作ると信じていたので、
その考えがいかに間違っているか、自分の家庭の異常さに気付かされました。
もちろん自分と同じような境遇の子の話は胸が痛く、
また過去を振り返ることでフラッシュバックも誘発しましたが、
それ以上に得られたものが多い学生生活でした。
正しいことを正しく知れたこと、また、自分の経験を活かして子どもを守る仕事ができたことに感謝でいっぱいです。
③幼少期の虐待を経て「私が生きている意味」について考えることがあります。
よくいただくアドバイスに
「そんな酷いことをした親を許さないことこそがあなたの生きる意味だよ」
というのがあります。
でも、親を許さないことや親が生きている価値は無いと決めつけることは、自分の出生を否定することでもあります。
確かに私の家族のしたことは許されることではない、
でも私が親を否定したら自分の生きる意味も価値も、
私が存在していることすら否定するしかなくなってしまうのです。
「虐待を許さない」ということと「子供の存在を否定する」ということは紙一重です。
どうか、子どもを傷つけない方法で伝えてあげてください。
子どもは悪くない、でも親には子どもを正しく育てることが難しかった。
例えばこんな言葉はどうでしょう。
「それはあなたのせいじゃないよ。お父さんやお母さんにも苦手なことがあるんだね。だから私たちがお手伝いするね。」
これも、人によっては嫌な言い方かもしれません。
でも、親を否定しないことが子どもを尊重する第一歩だと思うのです。
長文を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。